2015年3月17日火曜日

宅練の日々

2月下旬から有給消化に入り、宅練の日々が続いている。
宅練はできない、、、と思っていたけど、いやいやどうして、なかなかの集中力でできている。
周りを気にすることもなく、限られた時間の中での宅練。
○○筋が、、、とかむずかしいことを言われることもなく、淡々とできることを限られた時間の中でする宅練。
今の私に必要なのは、こういう練習なのかもしれないなと思う。


ポーズができるようになるとか、サードもある程度進んでくるとわりとこだわりがなくなってきた。
バンダをフルに使った無重力感あふれるスーパーアシュタンギにはなれないことは分かってる。
私なんぞ、結局腕力使った力任せの練習にすぎないんだから。
アシュタンガの練習始めて9年くらいたつけど、バンダなんか未だに良く分かんない。


ただ、でも、やっぱり「呼吸」って大事なんだなーって思う。


バンダとか、○○筋とか考えず、ただ、吸ってup,吐いてdownみたいな感覚。
結局のところ、これに尽きるんじゃないかと思う。
多分吸うことによって動く筋肉があって、吐いて動く筋肉もある。
あとは目線が付いてくれば、たいていのことはできるんじゃないかと思う。
それがどれだけ時間がかかるかっていうだけで。


解剖学的な○○筋フリークは、ショートカットにはいいかもしれないけど、アシュタンガやっててショートカットすることにどれだけの意味があるんだろうと思う。
ショートカットしたって、その先にはさらに険しい道のりがあるわけで。
そもそもアシュタンガって、呼吸と動きの連動性の中にエネルギーを生み出すものなんだから、これができるようにとかあれができるようにとか、本筋から全く外れちゃってるように思う。
できなくたって、気持ち良く呼吸ができていればいいじゃん。だって別にカポタでかかと掴んだって、それで何か人生が大きく変わるわけじゃない。カランダで上がれたって、それで生活の何が変わる?


私にとってアシュタンガヨガの練習は、スタイル維持とストレスコントロールが大きな目的となっている。でもそんな私も練習始めてもうすぐ10年。10年練習したら教えたいなーって思ってるんだけど、TT受けに行ってる時間がないよね(;´Д`)


これもまた、いつかそうなるなら導きがあるんでしょう。その時まで粛々と宅練の日々は続くのでしょう。

2015年3月1日日曜日

今日はバリー先生と

バリー先生のクラスを受けるのは、しょうまが生まれる前が最後だったから2年ぶり。
去年NYに帰国したバリー先生が来日しているので、今日は代々木公園までWSを受けに行って来た。


やっぱり私はバリー先生でマイソールを始めたから、バリー先生はいいなあと思う。安心感。


バリーはあまり解剖学的なことを言わず、基本的には呼吸とドリシュティのみの指導。アジャストはしてくれるので、ポーズの完成形に近づくのは助けてくれる感じ。あんまり頑張らないのが基本で、カポタは基本2回まで(1回は自分で、2回目はアジャストで)


今の先生は好きだけど、ちょっとアシュタンガというよりはあまりにも解剖学にフォーカスしすぎて、むしろアイアンガーとかに近くなってきている気がするので、久しぶりに基本に戻った気がした。


その後のレクチャーでは、プラーナヤーマについて説明してくれたんだけど、結局はアシュタンガヨガはプラーナ(気)のコントロールなんだな、と。そのツールが呼吸というわけで、アシュタンガヨガが呼吸にフォーカスするのはここに理由があるんだろう。


ちなみにアシュタンガヨガの最中の呼吸のやり方として、グルジは「音を立てて呼吸するように」と指導してたそう。指導者としては、その音がどこから来るのか観察しているんだって。音を立てることで、「いま、ここにいる自分」に集中できるから、それが目的なんだそうだ。


こういった指導は、筋肉の動きとかそういう解剖学とは全然違う次元の、もっと基本的なことを思い出させてくれた。おりしも宅練始めたこの時期にバリーに再開して、こういう話を聞けたのは何かの暗示なんじゃないかとも思う。子どもたちをパパに預けて出ていくのは気が進まなかったけれど、やっぱり行って良かったWSでした。安曇野も行きたいなー。